2005年06月30日

ラクテン

ラクテンが旅館やホテルの情報サイトの掲載料を上げるという話を聞いた。
渦中では、大人な楽天、子供のライブと言われていた。
でも、’’大人な’’ははなはだ疑問だ。
俺はラクテンほどシビアな企業はいないと思う。
経済活動の目的は利益追求だが、それを地でいってる
ライブの方が実はかわいい感じがするくらい。

@旅館やホテル業界は瀕死
東京では外資系ホテルが参入する話題で活況を呈しているが、
実は国内旅館、ホテル業界は壊滅レベルまで行っているところもある。
熱海に行けばよくわかる。
自分の家よりもボロイホテルに止まる人はいない。
バブルの惨状はひどい。
設備投資に回す余裕のない台所事情がよくわかる。
熱海のホテルは外壁がはがれ、オーシャンビューのガラスが曇ってる。
後は、足利銀破綻で明らかになった、草津(ってあのへんだよね?)などの温泉街
銀行が飛んだことで、連鎖で飛んだ。
これらに限らず、どこも窮乏しているのは間違いない。
ビジネスホテルはそうでもないが、観光系はヒドイ。
最近は、海外の方が断然旅行費が安い。
日帰り温泉でスパやエステと組み合わせた新しいサービスもあるけど、それは新規参入組

にも関わらず、営業力の弱い地方の中小観光業の取れそうなところから取るのはいかがなものか。
そこまで経営状態が悪いわけでもなく、ここでの値上げは吉と出るとは思えない。
自分を肥やして生活習慣病にかかるような絵になる。
市場規模が減れば必然的に対象顧客数も減少する。
案の定、観光業界組織はライブドアへの移行を宣言した。

Aビッセル神戸と楽天(株)について
ビッセル神戸の監督はしょっちゅう変わってる。
三ヶ月以内もあったと思う(たしかね。)
いくら成績が出なくても三ヶ月で変われるんだったら、監督なんていらない気がする。
バンビーノの呪いは85年もかかってるし、阪神も18年かかってる。
スポンサーとの広告契約に年間順位の約束が入ってるかもしれないが、
でも、本気で利益のことを考えるならなおさら長期的な視点が必要だ。
イルハンも人気のある時に取って、怪我して下火になったら放出する。
ファンも応援するのにチームががたがたしてたら、誰を応援したらいいのかわからなくなる。
下手したら移籍した他チームを応援することになりかねない。

楽天球団でも、
練習風景を見るのに入場料確か500円徴収だった
他球団ではどこも徴収してないそうだ。
球団独立採算で、早期黒字化を目指しての考えだが。
これはちょっと強引では。
冷静に考えて、
最下位でほぼ負ける試合をお金を払って応援するのに、練習まで応援に行ってお金を取られたら
何のためのファンなのだろうか。
楽天はファンじゃなくて顧客と呼称を変えるべき。
しかも、練習を見に行くのは青少年が多いんじゃないだろうか。
自らファンを減らしてるように感じる。
結局、田尾監督がやめさせたらしい。

Bライブドア騒動
実は、フジテレビはホワイトナイトをSBIじゃなくて、楽天や有線などの連合と組む話があったのだとか、
ただ、楽天側がフジテレビの株式引き受けを求めたことで、身の危険を感じたフジテレビは撤回したとか。
前門の狼後門の虎で、狼のほうがまだましだったと。
楽天に限らずもメディア進出は考えていたのは間違いない。
まだ、サプライサイドの環境が整ってない分、欲求は高かったはず。
連合を組んだのも理解にたやすい。
ライブを牽制していたが、実は喉から手が出るほど欲しかったに違いない。
フジテレビとライブに資本関係が生まれたことで、楽天の直接的な業務提携は難しいのでは。
コンテンツ利用にしても後塵を拝すことになる気がする。

楽天をケチョンケチョンにする気はないけど、実はライブの方が素直な分幾ぶんマシだと思う。
ストレートとカーブで。
どちらもストライクが狙いなのは間違いない。
したたかな分だけ、強引さを感じる。

この先も注目な二企業だと思う。
楽天の人気は岩隈がいるしね。


posted by shunsuke at 00:28| Comment(37) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月07日

もう紫陽花が咲き始めちゃいましたよ。

ちらほら玉学のアジサイが色づき始めてる。

実はアジサイには願が懸けてある。
今年は果たされそうにありません。
その願がかなったら、明月院に行こうと思ってます。
もう確実に五年は行ってないんですが。

自分の予想だと最低でも5年くらいかかるかな。
もう半月たって、長谷寺や極楽寺、明月院に行けば目にも鮮やかな紫が見られるはず。
アジサイ狩りたけなわでしょう。

実は六月一番大好きです。
七月八月は、今日みたいな暑さだと汗が止まらない。汗っかきなんで。
もちろん、断然夏派なんで、7,8,9も好きですが。
雨だと不便なことが多い。
ただ、その分普段見られないものが見られるので得した気分になる。
だから、その不便さも歓迎できる。
湿度の高い満員電車から最近遠ざかってるから、こんな甘っちょろい考えを持ってるのかも。
朝靄のひんやりした空気が火照った体にちょうどいい。
たまに晴れると、濡れた世界に光があたりまぶしく見える。
雨に打たれて時機を待ち、力を溜め込んでる姿は考え深げ。
じめじめしたのも、雨が上着を濡らすのも許せる。

アジサイについて、
最近知ったこと。
アジサイは、原産国は日本だが、今分布しているアジサイのほとんどは西洋アジサイだとか。
逆輸入されたらしい。
アジサイの花と思われている部分は、がくで花ではない。花は奥にある部分だと。
そのため、初めは緑色をしていて、葉っぱと同じで変色するとのこと。
本来花は、色褪せることあれど、変色しないと。
また、変色するのは、酸性物質が葉の内部に残留してしまうからである。
そのため、アルカリ土により青色のアジサイも赤紫色に変化していくのだと。

最近、気になったこと。
ラジオの野球中継から、ラミレスのキャッチはフリスビーのチャンピオン犬のようだと。
テレビで見たくなった。
ラジオ解説は、曖昧な表現の方がいいかも。
その描き出す放物線は栄光への掛け橋だって、ほんとに頭からすんなり出てくるんですか?

近所のスーパーの裏の自販機の前に不良の中学生二人があぐらをかいている。
青春のひと時。
でも、なんでわざわざ、ぽつんと二つしかない自販機の前にまるで絶対に買わせないかのように座っているんだろう。
元来、不良の溜まりは公園なはず。
最近は、表に出るもんなの?

友人から借りた藤田晋の渋谷で働く社長の告白には感銘を受けた。
一週間に110時間も働くなんて、考えられない。
自分、睡眠時間が短いとまったく使い物になりません。
道は近所でもよく間違えるし、たぬきの置物のようになります。
AB型は寝ないとだめらしい。
そして、石田衣良は一時間とか15分しか寝ないらしい。
15分だけ寝られるって、、、
ナイスルッキングの世渡り上手かと思っていたけど、
忍耐と努力の結晶なんだと思い知らされた。
同じ人生のチケットを持っていても、捨ててしまう人もいれば、
二倍三倍にしようと思う人もいる。
持っていても、ただ有効期限が到来する人が大多数かもしれない。
使わなきゃ損だと背中を押されるような生き方だ。
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2005年05月27日

年代記

この世のどこかには、人類の過去、現在、未来の全ての歴史が書かれている本があるとかないとか。
人類は、その本に書いてある通りに歴史を紡いでいるそうだ。
この年代記は、本棚に平然としまわれており、中にはこれから起こることが書いてあるそうだ。
これは、昔アメリカで実在した人が言っていたそうだ。

この話、実に肩が凝ってくる。
虚脱感を覚える。
三途の川の鬼の話の次くらいに落ちる。
石材なんかを運んでいる人がいたら足元から崩れ落ちそうなくらいだ。
超能力とか夢があるから好きな方だけど、
この話はおもしろおかしいというよりもちょっぴり真理を突いている気がした。


すべてが決められているとは仕組まれている。
作為的なんじゃないかと。
例えば、会ったことも見たこともない人を好きになることはない。
存在すら知りえない。
自分が好きなものは本当にそれが好きなのか。
みかんが好きだけれども、それは常に家に置いてあるので、
それがないということに違和感を感じる。
それが原因で、仮にそれがリンゴであったら、
リンゴを好きになっているはずだ。
実は自分が考えたアイデアは、誰かのインパクトにルーツがあったりする。
この人間の理性的な営みを作為的ととらえれば、少しは見られた話になる。
人を三次元上に球体としてプロットし、ひとつをはじく、それがぶつかる、ぶつかられた方も動き出す、ビリヤードの玉みたいに。これが、繰り返される。なかなかあたらないものもあるかもしれない。これが人間の活動を表せたりするんじゃない。

人間は考える葦だから、理性で考える。
理性的に考えると理性に仕組まれる。
決めるのは理性。決められるのもまた理性。
唯一違うのはインパクトの瞬間のような気がする。
インパクトは純な素材だと思う。

家の前は大学の農場なので、付属の小学生が植物見学に来たりする。
窓を開けていると、甲高い声だと流れてくる。
小学生の女の子が、男子に向かって「こら、一般ピープル」と叫んでいる。
この表現は大人が何万回の試行錯誤をしても出てこない気がする。
ある意味、芸術的な一言。連呼していたので、爆笑したけど。
ふと、彼女の発言は年代記に書いてないんだろなと妙に納得した。

彼女の一言が何かを変えるほどに大きい力を持っているとは到底思えない。
しいていえば、言われた男の子がひどく傷ついたくらいだ。
でも、力を持つこともある。
だから、年代記の話は半分あたっていて、半分はずれてる。
こういった、刹那刹那の美しさは、危ういけど、甘い陶酔感がある。
自分が拾った貝殻を机の上に並べて、悦に浸って見ているような。
逆に降り積もった気持ちが一念に付されることもある。
いざ、なってみるとどうってことなかったみたいな。
無駄に長い列を作って、恐怖を味あわせる予防接種。

昔、確か古文で、桜の花が咲くのを見ると悲しくて、とても喜ぶ気にはなれないと云った内容があった気がする。なぜなら、咲いた瞬間から散ることが決められている。どうして、この運命を祝うことができるのでしょうかみたいな感じだったかな。
初めは、感じ入るところがあるように聞こえたけど、実は馬鹿げてる。
喜んで、悲しめばいいだけで、全体を結果に収束させる必要はない。
悲しむんであっても、悲しんで、悲しめばいいわけで。

「豊穣の海」の良さはここにある。
マジ、名作だよ。ほんと。

理性ほどつまらないものもないと思ったけど、想像を裏切れないから。
そう考えている自分がすでに自分にだまされていたかも。
自分は理性と感性を履き間違えていたように思える。
結局行き着く先は、行動なのかな。
行動、行動、まず、行動で、インパクトを与え、貰いつづけて、
そこで、初めて思考する。
そうすると手遅れ?がいつものパターン。
だけど、笑い話にして、おしまいみたいな。
この不幸の方程式の値域が最大値を超えつつある気がする。
いや、実際ある。
ただ、まいっかっていうすばらしい言葉があって、、、、
三河漫才って、こんな感じだったのかな。笑
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2005年05月24日

ぐだぐだ。

ルール1 いつも混んでいると思われていた病院は実は空いている日がある。
     それは火曜日。午後の始まりは予約しなくても意外と空いている。

ルール2 空いていて、薬だけ下さいと言うと、久しぶりなんで診察してったらと言われる。
     医院の売上に貢献し、特に話すこともないのに話題を自ら作る。


最近、読んだ本。
蹴りたい背中、インストール、ドンキ・ホーテ
ワタヤリサは感情表現がうまい。
言葉から感情の微妙な変化や繊細さが伝わってくる気がする。
ただ、あのピュアそうなフェイスでこんなこと書いているのにただただ驚く。
そして、蹴りたい背中の意味が自分の期待をかなり裏切ってくれたことに笑えた。
好きだけど素直に接しられないもどかしさを表現しているのかと思ったら、
本気でマジげりしたいと書いてある。
このちょっぴりの異常さが小説中に散りばめられていて、これが売りだ。
主人公が、毎朝無印で朝食を取るとか。
ある種、吉本ばななに雰囲気は似てる。
でも、吉本ばななよりもリアリティがある。
吉本バナナは、生々しいものもきれいに見えるような距離感で書かれている気がする。


ドンキホーテ
セルバンテスといえば、有名。だから、読んだ。
以前もこれと似た動機でチョーサーのカンタベリー物語を読んだ。
期待との落差にこれも笑った。
硬いと思っていたら、俗物小説に近い。普通に笑えます。
ドンキホーテも随所随所に笑える。
ただ、そのインターバルが退屈でつまらない。
そして、二度と読み返すことのない本のような気がする。
ただ、若きウェルテルの悩みといい、ちょっぴりその狂気さが理解できる今の自分って、、、
なんで、これが書かれて、名作なのか誰か教えてください。
狂気は誰にでも突然起こりうる身近なもので、こっけいでいて、やっかいで、

ぐだぐだだぁ
posted by shunsuke at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ぐだぐだ。

ルール1 いつも混んでいると思われていた病院は実は空いている日がある。
     それは火曜日。午後の始まりは予約しなくても意外と空いている。

ルール2 空いていて、薬だけ下さいと言うと、久しぶりなんで診察してったらと言われる。
     医院の売上に貢献し、特に話すこともないのに話題を自ら作る。


最近、読んだ本。
蹴りたい背中、インストール、ドンキ・ホーテ
ワタヤリサは感情表現がうまい。
言葉から感情の微妙な変化や繊細さが伝わってくる気がする。
ただ、あのピュアそうなフェイスでこんなこと書いているのにただただ驚く。
そして、蹴りたい背中の意味が自分の期待をかなり裏切ってくれたことに笑えた。
好きだけど素直に接しられないもどかしさを表現しているのかと思ったら、
本気でマジげりしたいと書いてある。
このちょっぴりの異常さが小説中に散りばめられていて、これが売りだ。
主人公が、毎朝無印で朝食を取るとか。
ある種、吉本ばななに雰囲気は似てる。
でも、吉本ばななよりもリアリティがある。
吉本バナナは、生々しいものもきれいに見えるような距離感で書かれている気がする。


ドンキホーテ
セルバンテスといえば、有名。だから、読んだ。
以前もこれと似た動機でチョーサーのカンタベリー物語を読んだ。
期待との落差にこれも笑った。
硬いと思っていたら、俗物小説に近い。普通に笑えます。
ドンキホーテも随所随所に笑える。
ただ、そのインターバルが退屈でつまらない。
そして、二度と読み返すことのない本のような気がする。
ただ、若きウェルテルの悩みといい、ちょっぴりその狂気さが理解できる今の自分って、、、
なんで、これが書かれて、名作なのか誰か教えてください。
狂気は誰にでも突然起こりうる身近なもので、こっけいでいて、やっかいで、

ぐだぐだだぁ
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2005年05月17日

ラヂオの時間

個人的には和田という名を思い出します。
わかる人だけで。

今日は木村カエラクラスの気の抜けたテンションで。
長井秀和のカエラはシュールし放題が少し受けている。
確かにシュールだ。

自分は無類のメディア好きである。
テレビがなくては生きていけない人達がアンチライブドア運動を始めたらちょっぴり加わってもいいかなとも思ってる。
別にテレビだけが好きなわけでなく、新聞もポスターもネットも電車の中の高校生のありきたりな話まで大好きである。
盗み聞きの趣味はありませんのであしからず。

要するに情報大好きである。
地球の反対側のおよそ影響を受けることのない情報でもあると言われれば知りたくなってしまう。
イースター島の左から三番目のモアイ像は昨日、目ん玉が書いてあったそうですみたいなものでも。

最近、ラジオをながしっぱにすることが多い。
人生で初めてラジオというメディアにどっぷり浸かっている気がする。
オールナイトニッポンという言葉には少し惹かれていたこともあった。
たまに話をする人がいて、話が流れてきてそんなおもしろいのかなと興味をそそりもしたけど、俺の腰の漬物石並みの億劫さが勝ってしまっていた。

もちろん、車の中で流すなどはよくあったが。
ずっと、映像がないなんてつまらないじゃんと思っていたので、敬遠しがちだった。

だってさ、ラジオのDJが○○さんがゲストで来てくれました。
ヒューヒュー、お、イケメンですね。なんて言う。
そうしたら、人間の心理としては、
小石を池に投げたら波紋が広がるのと同じで、
顔はどんなんだと思ってしまうよね。

さらに、チャンネルを変えるのではなく合わせるというアナロジーなルールが今日の技術進歩の寵児である自分としては、はぁ〜って、感じだった。
気の抜けた三ツ矢サイダーを、炭酸好きでしょ?
みたいな感じで出されたとき。
まあ、口に出して言いませんが。

でも、ラジオはおもしろいことに気づいた。
家の関係上ニッポン放送の入りが悪く、オールナイト日本は聞くことはできず、JウェーブとFM横浜を中心に聞いている。

番組は二人組みのペアか一人のDJで構成されることが多い。
二人組みの場合、男女ペアが普通である。
この二人の関係性がまたおもしろい。
友達感覚で展開させていくペア、一方でやたら男のDJが女性DJにダメだしするペア。後者にいたっては、おまえら仲良くねぇだろうみたいなことさえ感じます。トークの展開が十中八九冷静な女性DJを偏った男性DJが叩きまくって終わりみたいな。そんな感じ。ちなみにJWAVEです。

そして、距離感が近い。
馴染みのある人物の意外な一面を発見させられることが非常に多い。
さらに双方向性。
個人個人の話をあんなに聞けることもないでしょう。
うんうんと頷くものから、後ろから流れてくる音声に手をかけられ思わずびくっとしちゃうものまで。

ラジオ、萌えですね。

最近読んでいる本について書こうと思ったけど、ほかのことを書いてしまった。
posted by shunsuke at 23:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月06日

同質性を求めるひとたち。

同質性を保つ価値観が常識だけになろうと刻一刻と迫っていると思う。
それどころか、常識の一部さえも崩壊してしまっている。
バブル崩壊がもたらしたのは、経済低迷だけでなく、価値観の変容をも促した。
自分史を振り返っても、メディアを中心として言われていることが、子供の頃と今とでは大きく違っている。
顕著な例が、犯罪の多様化、多発化である。
殺人件数は確実に増えていると感じる。
事故の不満や不平も大きく個性と捉えるならば、以前はこれが社会の日の目を見ることはあまりなかった。
画一的で全体的な道徳基準が常識として、誠しまやかなある種の絶対的な権限を持ち、押さえ込んでいた。また、そういった下での関係性は密であり、関係性の抑止力が働いていた。
そして、いつしか自分の考えなどと云ったものはまるでなかったかのような状態にさえも社会全体が陥っていた。
でも、最近はこの権限が奪い去られてしまった。
協調性一辺倒といった中心概念が崩れた。協
調性と個性との均整が求められるが、それは釈然としない。
明確な基準は少なく、未だに旧来に対して新しい価値観が戦いを挑んでいて、勝とも負けとも言えない態を呈している。
さらに、この一つの価値観の崩壊が他の価値観にも影響を与えた。
かくして、個性を覆っていた殻は破られてしまった。
個性は何をもたらしたか。

ひとつに思考をもたらした。
人生安全神話が通念上担保されないことが確実になった。
これは従来の行動体系にイノベーションをもたらした。
転職や自己実現を踏まえてのキャリアアップなどがそうだ。

もうひとつに同質化の欲求が生まれた。
常識が崩壊しつつある人々をつなぐ鎖は糸切れに近い。
また、個性化することにより衝突が生じる。
このような状況では、規範が個人思考に委ねられても不思議ではない。
最近の事件で、ホームで化粧をしていた女性を注意した中年女性が電車に突き飛ばされた。
明らかに規範の差がある。
しかも、加害者はとても特異なタイプの人間には思われない。
彼女と中年女性の衝突は上記の例の範疇だろう。
ただ、事件レベルまでは行きすぎとも言えなくもない。
だけど、絶対的な中心概念が崩壊したことにより、ほかの価値観のたかが揺るんでしまって、はずれやすくなっている。
なぜか、普通の人が犯罪の加害者になっている。
加害者というと本来異常だ。
加害者は犯罪意識が生まれやすい環境にあっただなの。
本人に犯罪を負わせる考えに成りがちだ。
しかし、本当にそうだと言い切れるんだろうか?
最近の犯罪はそうでないものが多い。

このような同質性が失われ、衝突が生まれる現状において、不安を感じる人は多いに違いない。
彼らは、失われた連帯感を求めるために同質性を求めている。
つながるためにつながる理由を。
ファッションとは無縁だけど、以前考える機会があった。
50年代から80年代の流行はおもしろい。
ニュートラ、浜トラ、たけのこ族、からす族、紺ブレ。
近い頃だと、ルーズソックスや厚底。
この頃までは、流行が一体化していた。
今は、流行は静かなものになっている。
例えば、B系と呼ばれる人達。
ダンスを趣味としているので服装も合わせる。
彼らがビトンのバッグやエルメスのトートバッグなどはもっていない。
一方で、ギャル系は派手で露出気味な服装がある。
他にもアメリカンカジュアルやキレイ目系、さらにはアキバ系など。
大きくカテゴライズされている。
ファッションの流行は、各々のグループの中では浸透していくが、他には伝達しにくいだろう。
このようにある程度集団化することで社会的な孤立感や不安感を取り除いている。
この集団だけの常識が生まれ、これが従来の常識に代わり同質性をもたらしている。


また、ぎくしゃくしてるけど、直すの面倒だから寝よう。
まあ、若者はそれでも共通項がもともと多いからまとまる可能性も高いけど、それより高い人達はさらに環境面でも多様化してるから、どうなの?みたいな。でも、風潮としては、個性観に根ざした集合が生まれていきそうですね。
まあ、趣味に限らず、いろいろあるけど。趣味的なものが一番力が強そうなのかな。
to and froだ。
posted by shunsuke at 01:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月19日

modesty (自己批判と他人批判)

日本の伝統的な美徳観

謙譲語は、自分がへりくだり相手を立てることにより敬う言葉。
自分が一歩下がることで、相手を相対的に上位に見立てる。

この観念は様様な表現の底流になっていると思う。
例えば日本人独特の曖昧な表現と揶揄されるのが、
「そう思わなくもなくもない」
相手に直接意思をぶつけることで相手の感情を害さない為に、
遠まわしにすることで相手に対する配慮を表現に込めてる。
この面倒なくらい複雑な表現には、
私は相手をそれほど大切に思っていますよという暗黙の了解がある。
丁寧な言葉を単に使うのではなく、
このようなおどろおどろしく複雑な表現を使う理由は、
日本人が自己批判を判断基準にしていることに求められる。


例えば、最近でこそ村上春樹のような一人称で語られることが多くなったが、近代小説の多くは三人称で語られている。
一つの考えは、読者の理解に対して影響力を否応なしに与える。
対象を材料とのみ認識することからの各々の純粋な理解を妨げることになる。
同じ発言であったとしても、首相の発言と一学生の発言とでは、受ける印象も大きく異なるだろう。
多くの作者は、自分の考えとして述べるのはおこがましいと考え、
このような形を取ったのではないか。
また、無私に徹することで、
読者の理解に対する配慮をした。
自己批判とは、自分と自分との関係性であり、
他人批判は、自分と他人との関係性である。
自己批判における理解を促すにはできる限り無私である必要があった。
そうすることで、読者は自分の思考と対峙する機会を得ることができた。
その過程は、対象からの自己の思考に基ずく理解を自分の思考に受け入れ、内包しながらその存在を否定することにより、
否定し得ない又は思考の改善の帰着を導くことにより思考の確立を図った。
ただ、この対象は材料といえども、まったく他人の考えが入っていないわけではない。
他人によって作られたものである限り、主観的な見解は示されているに違いない。
人参であれば、普段料理に使う部分のみ切り分ける。
その行為に自発的に疑問を投げかける。
実は、皮の部分も使え、身には含まれない栄養素が入っていたり、ビタミンが豊富だったりと。


一方で、他人批判における理解は、相手が必要である。
相手の思考があり、自分の思考をぶつける。
そこから生じる衝突を糧に新たな思考の形成を行う。
こうした過程を経て存在する思考は非常に強いエネルギーを備えていることが容易に理解できる。
理にかなったものは受け入れ、矛盾したものは捨て去る。
他人批判は、ヘーゲルの弁証法などの近代合理主義が底流にある。
このような思想は、この時代における目まぐるしい変化にある。
産業革命などによる社会構造の変化、市民革命による新たな国家の形成(伊、独)、アジア、アフリカなどへの経済的進出、それに伴う衝突である戦争と。
衝突や変化の累々の山を築き、それを乗り越えるためにこのような合理的な思考特性が生まれた。

では、なぜ日本人の自己批判的な思考を形成するに至ったか。
それは、変化を迫る事件が何も起こらなかったからだろう。
米軍による占領を除いて、日本の本土が異民族に支配された経験はない。
長い鎖国制度により、感性の領域も限定された。
さらに、特に江戸時代では政権を公儀と呼び、政権の考えが社会通念上の考えとされた。そのため、自己の思考は自分の内なるものでしかなかった。この部分は封建的な思考と呼びうるかもしれない。
御恩と奉公といった点からも伺われる。支配者層である武士を組織化するため、感情を封じ込めるシステムを導入している。ただし、これは何も日本に限ったことではない。官僚制など他にも類を見る。
ただ、日本はそのままつい60年前まで、きてしまったが為に過ちを犯した。

自己批判は時代感覚とかけ離れたがために形成された部分もある。
しかし、実は高い時代感覚を有している場合もある。
新しい思考に至らないので、発展しないようにも感じられる。
しかし、自問自答を繰り返すことにより常に懐疑的な態度は、慢心を排除し、盲点を探すのに適している。
この盲点は、時代や環境の変化により異なるだろう。
一方で、他人批判は、ひとたび衝突を経て形成された思考の存在に疑問を投げかけることはない。
なぜなら、対立する対象がその時点では存在しないからだ。
また、対立関係にあるものを捕らえるにも時間を要する。
他人批判は衝突を経ないと新しい次元に至らない。
時代変化は人間の想像をはるかに越えている。
トヨタ式改善とフォードの失墜が好例である。
常に組織体制に疑問を投げかける姿勢と、合理的だと確信した組織体制
の時代変化の不合理性を信じて疑わない姿勢。
しかし、ITとサービスの融合などは、あきらかにアメリカの方が早く発展している。
これは、他人批判の効能といえるかもしれない。

上記のとおり、この二つの考え方は、一長一短である。
でも、実は今自己批判的な思考が必要とされているときだと思う。
中国、韓国の反日感情の高まりは近年稀に見る規模のものだ。
これに対して、他人批判的な思考に基づいて行動した場合。
報復には報復といった形で報復の連鎖を招くことになる。
ここで沈黙することで自己批判を行うべきだ。
そうすることで、相手に対しても自己懐疑の機会を与えることになる。
ここでいう沈黙は対話を拒絶するということではない。
関連する行為全般に対してのみ沈黙すべきだ。
沈黙は金雄弁は銀どころか、投石を招くことになる。
中国に謝罪を求めても、謝罪をしたことになってしまう。
求めるのでなく、引き出すために日本に非がない状態を保つために
自己批判的な態度が求められるのではないだろうか。
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2005年04月11日

沖縄日誌〜愉快な人達1〜

アデイという宿に泊まったんですが、
そこにいた人たちのキャラが面白かったのでログします。

宿は、外見は異様な建物です。
最初は保育園だと思ってました。
確実に、交差点の角にあるのも手伝い浮いていました。
中は意外に雰囲気がよく、洒落た作りにはなってます。
アデイ専属のデザイナーがいるみたいですが、結局よくわかりませんでした。
かなり安上がりっぽく、あの雰囲気なら費用対効果は相当なものです。
ただ、低いしきりがありますが、雑魚寝です。
そして、夜は寒くうるさく、相当眠れませんでした。
一階が男で、二階が女、三回が事務所で、地下がクラブ。
外見とは大違いで、粋な機能も持ってました。
旅行中、近くの高校生が卒業パーティーを開いてました。
女の子が多く男は数人で、二階が着替えにあてがわれていました。
とても高校生とは思えないくらい大人目で美人なコがとてもたくさんいて、
ビックリこきました。
沖縄美女伝説は健在です。
残念ながらお知り合いになる機会はありませんでした。
1、2週間くらいいれば、宿にしょっちゅう遊びに来てるみたいでチャンスもありそうでしたが。
残念。
そして、二夜ほど宿の人達と飲みましたが、
一銭もお金を払っていません。
誰かが痛みを受けたはずですが、
一泊1500円で元を取ってるかもしれない。
経営管理どうなってるの?みたいなそんな宿です。
でも、かなり儲かってるみたいですが。

オーナー
最初の宿泊手続きの応対したのがオーナー。
しかし、それ以後一度しか見ていない。
二日目あたりに、目を覚ましたらコップを拭いていた姿。そして、二度寝した自分。
レンタカー会社の人並みの愛想のなさだった。でも、なんか威厳が漂っていた。
この人がオーナーと知ったのは、飲み会のときで他の人から聞いた。
でも、目撃回数からいまだに信じがたい。

コック
そして、オーナーの代わりにいつもカウンターの中にいたのが、元船のコックのおっさん。
小錦をほんの少し小さくした感じの人。
昔、鮫に噛まれたらしく足が悪い。
友人を助けるために鮫のいる中に突っ込んでいったと言ってた人もいたが、
実は、パナマ運河かどこかでジェットボートで遊んでいて噛まれたのが真相だった。
他にも、船の上で奥さんと結婚したが
陸に着く間もなく亡くなられたので籍だけ入れたというロマンチックな話もあった。
しかし、話し手が嘘をついている可能性もあり何とも言えない。
でも、料理の腕はピカイチだった。
鳥の皮とニラの味噌汁がうまかった。ちょっと油大目だったが。
そして、さらに不思議なことに
この人はいつもカウンターの中にいるのに、従業員兼客だった。
宿の手伝いをしている代わりにお金を貰っているみたいだが、
元々はただの客だったみたいだ。
だから、寝るのは俺たちと同じ広間。
一夜、彼の独演場となり話を聞いていたら、
女の話も出てきました。近くの飲み屋のママとの話や
高校生の打ち上げを手伝った際、女子高生とみたいな話もこれ見よがしに喋りました。
軽く犯罪です。
40後半か、50前半のような気もするし。
あまりにも途中から武勇伝化したので、寝てしまいました。
すいませんでした。目の前に座っていたのに。

ヒゲ
この宿はおっさんが多い。
5人はオーナー含めていた。
どうやら彼らだけは地元沖縄出身者で友達同士で、宿や飲食店を経営しているみたいだ。
このおっさんは、相当羽振りがよさそうだった。
飲みの主役はほぼこの人だった。
ただ、俺の人生史上No1のセクハラオヤジだった。
男論を暑く語った。
自分が好きなことをやって、楽しくさらに成功している姿は説得力がある。
何より楽しいことをやるっていうのは魅力的だった。
ただ、突然隣の子分?(彼専属の従業員)に
「おまえの腕折っていいか?」という問いやセクハラ発言は、
新潟から来たOLの女の子をビビらせていた。
がたいはコックを引き締めた感じで、暴れたらかなりやばいことになるのは想像につく。
仲間のおっさんに、
「おまえの足を折るぞ」と言っていた。
ただ、女子高生のパーティーのDJをやっているみたいで、途中で退散していた。
そして、俺たちが飲むためのお酒やお菓子を、
女子高生が買ってきたものからこっそり頂くように、
子分に有無を言わさぬ指示をしていた。
俺たちにとってはいい人だったが、女子高生達にとっては悪い人だったに違いない。
俺の記憶では、結構酒があった気がする。
正直、この宿に女の子が泊まることはお勧めしません。
たぶん、このおっさんをどうにかするのは誰もできなさそうです。
まあ、おもろいし、どちらかといえばいい人なんですが。

ユカさん
最初は、男の人かと思ったんですよね。
夕方帰ってくると、カウンターにいつも座っていました。
アディダスのパンツにパーカーをいつも着てました。
アデイに来たのは、一年くらい前?みたいでした。
かなりいい人で、親切にして貰いました。
チュッパチャップスを舐めていたら、
「それ好きなの?一杯あるから持ってきてあげるよ。」
と、どこからか数個持ってきてくれました。
その後で、ヒゲが、
「おまえ、それパクったんじゃないだろな」との発言で理解しました。
宿の備品だったみたいです。俺のですといいましたが。
でも、あんたも同じやねんみたいな。
セクハラ親父の受け流し方も見事でした。
ただ、俺にパンツの中に代わりに手を入れてあげては相当焦りました。
火の粉はかかりませんでしたが。
一瞬、体中を悪寒が走りました。
出身は静岡県の富士で、前はバイトをしていて、居着いたみたいでした。
「普段何やってるんですか」と質問したら、
「私プータロだから、よくわかんないから聞かないで」と言われ、困っちゃいました。
彼女にとっての安全基地は、ここなのかなと思いました。

ゆすけさん。
福島出身の人で、色白でかなりほっそりしてる。
いつも、白い上下のジャージで、金髪でB系みたいな感じでした。
一応、ヒゲの下で働いているみたいでした。
もう一人の、お笑い芸人みたいな兄ちゃんと二人が子分みたいに働かされていました。
正直、お笑い芸人の兄ちゃんは、理解不能な境地の人間で、ヒゲに苛められまくっていました。
内情は、ほとんどゆすけさんから得ましたが、
ほとんどの話が嘘か本当か定かではありません。
かなりおもしろい人でした。
まあ違った意味で、お笑い芸人もおもろかったんですが。

会話例1
ユウ「俺らはいつも友達んち行くときはスノーモービルだよ。」
会話例2
ユウ「俺がここに来たとき、いくら持ってたと思う。」
サメ「500円」
ユウ「お金持ってないと思って、馬鹿にするな。俺がそんなにお金持ってない男に見えるか」
  「俺だってそれなりにあるんだぞ」
友人「じゃ、いくらなんですか」
ユウ「5000円」
友人「5000円で沖縄くる人ってどういう神経してるんですか?」

彼からはスラングを習いました。
本当はいけないことだとは思いますが、ロンパリとかビッコとか
普通に宿の該当するおっさんを呼んでました。
本人の前では知りませんが。

サメ
好男子だが、結構抜けていて憎めないキャラ。
一コ下の大学生で、インターンをするために名護から那覇まで着て泊まっていた。
実家は瀬谷らしく近所といえば近所だった。
大学は、俺でも入れる大学はどこかありますかと聞いて決めたそうだ。
おもしろいことを言おうとしてるんだけど、ものすごい音がなる空振りをしていた。
でも、それが俺はツボにはまって、始終笑っていた。

会話例
ユウ「俺らはいつも友達んち行くときはスノーモービルだよ。」
サメ「どうやって道路走るんですか。」
俺「道路も雪積もってるじゃん」
サメ「ああ、そうか」
ユウ「サメは本当に大馬鹿だなぁ」

注)これはあくまで、残念ながら記憶の留めてる範囲です

俺がいる間に携帯と財布を順序良く失くしていた。
携帯はすぐ見つかったけど、
一緒にめしを食いに行った帰りに、皆で立ちションした時に落としていたとは。
軽く濡れていたそうです。
財布を無くした彼は、往年の名男優の迫真の演技でも見られない程、哀れな様子でした。
あまりに可哀想だったので、俺達は飯をおごってあげました。
彼は、空港職員のインターンをしていて、
俺達が、出発の5分前くらいに着いたのに
仕事の合間に搭乗口に張っていて、見送ってくれました。
かなりいいひとです。

なんか、みんなあったかい人たちでした。
ほとんどの人が、沖縄外の人ですが。
沖縄の土地柄、そういうものを求めて人が集まってくるような気がします。
社会的には問題なのかもしれないけど、
失業率が高く、所得も低いというくらい部分もあるはずなのに、かなり明るい感じでした。
国際通りには、同年代くらいなのに一人で店を切り盛りしている人もいました。
暗くて冷たくても暖かさを持ちつづける逞しさみたいなものを感じました。
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2005年03月27日

沖縄日誌 ナイチャーとウチナンチュ

三週間ほど前に沖縄に行ってきました。

沖縄は悲劇の監獄だと俺は思ってた。
琉球王朝期に薩摩藩から侵略され、
太平洋戦争時に米軍に侵略され、
最大規模の地上戦が繰り広げられた。
そして、その後1972年に至るまでアメリカの支配下におかれた。
現在、失業率と県民所得は全国最下位だ。

こういった悲劇的な歴史が、ナイチャー(本国人)とウチナンチュ(沖縄人)という言葉に強く現れている。

宿のスタッフのおじさんと飲む機会があった。
「ナイチャーには絶対に馬鹿にされたくない」と洩らした。
横浜に遊びに行ったときに、馬鹿にされたことに腹立てけんかをしたことを話す際に思わず口をついてでた言葉だ。
沖縄の人達は、沖縄の自分達とそれ以外の日本人という差別意識が強い。
これは過去の歴史が持たらした意識だろう。
車を運転していて気づいたのだが、沖縄の人はほとんど道を譲ってくれない。
あれだけ広い道路で当たりの強い姿勢は作為的な事象の存在が脳裏に浮かんだ。
宿で同年代の地元の大学生とも懇意になった。
彼が言うには、若い世代はそういう意識が薄れつつあるが、そういった意識が強い人も年配には多いのだそうだ。
正直、旅行中に相当愛想が悪いと感じた人たちもいた。
レンタカー会社のスタッフなど、無表情無言だった。

もちろん、どの人も仲良くなれば非常に親切で厚情な人々だと思う。
たとえば、宿のスタッフは酒を奢ってくれたし、波情報もわざわざ調べてくれた。
本来の温暖な気候がもたらす風土的な性格が出てくる。
土産物のおばちゃんは、商売柄だが気さくに話し掛けてくれて、いろいろな話を聞かせてくれた。

ひめゆりの塔に行った帰りに、首里城へ行くために山の中腹くらいの駐車場に車をとめて歩くことになった。しばらく歩いていると、自転車を引いたおじいさんが「お参りをして行きなさい」と声をかけてきた。
見れば、左手に中学校と思しき建物があった。
階段を上りあがると、原っぱのような広場に一中健児の塔が置かれていた。
おじいさんは、自分だけお参りをするとそそくさと来た道を戻って行った。
一様に手を合わせてそこを去った。

サーフィンのポイントにスーサイドと呼ばれるポイントがあった。
潮が引くと剥き出しの岩があらわになるので、満潮時しかできないポイントだ。
ひめゆりの塔のすぐ近くにある。
その言葉を聞いた時、凄いネーミングだと思った。
ポイント名に「自殺」だなんて初めて聞いた。
ひめゆりの党の資料館の説明によれば、北側から攻め立てられ、そこで果てた人もいるに違いなかった。

こういった、所々で足を止めさせる体験が、日差しにより浮き彫りとなった沖縄の人たちの影のように思えた。
ナイチャーとウチナンチュという言葉は、悲しい匂いがした。

沖縄情報
http://www.okinawabbtv.com/index.htm

posted by shunsuke at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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