2004年11月20日

夢と現実をつなぐもの 夢をみる権利の売買

最近、株価ばっかり見てます。
九時から三時までパソコンの前に張り付き。
数字に躍らされるなんて、霊長類の頂点に立つ人間がとか思ってしまいますが、
実は楽しい。日本が動いてるんだなって感じる。そして、資本主義を直接感じられる。
株で儲けた場合、誰かが損をしているからだ。もちろん、右肩上がりを軌跡とするなら無限に続き、損をする人はでないともいえる。でも、変動となると損をする人と得をする人がいる。


好きな夢を見ることができるシステムがあることを前提とする。

誰もが好きな夢を見たいなと思うことはないだろか。空想をリアルに疑似体験できるとしたら、それは夢の中だ。例えば、上司に不本意に叱責されたとする。あの上司をコテンパンにしたいと思っても当然そんなことは許されるべきものではない。でも、夢の中でなら上司をボコボコに殴ってしまっても問題ない。夢の中では法律も道徳も消し去ることができる。好きな夢を見る権利を販売する。例えば、アイスクリームを好きなだけ食べる夢を見れる権利。夢を見る人は、この中から好きな権利を一つ購入する。では、ここで何を対価として支払うか。それは、欲望である。その人間から欲望を奪い取る。例えば、ボクシングで頂点を極めたいと願う人がいたとする。彼は、それを夢で見る。しかし、夢で見ることによって擬似達成されてしまう。そうすると、彼から頂点を極めたいという欲望が消えてしまう。つまり、また彼は新たに欲望を作らなければならないわけだ。つまり、欲望をたくさん持ってる、又は強いものを持っている人は多くの好きな夢を見ることができる。逆に、全く欲望がなければ好きな夢を見ることはできない。

普段無気力で生きている人がいる。彼らは欲望がない。だから、夢さえも無気力なものだ。自分の今までの潜在意識を振り替えるものでしかない。しかし、欲望をたくさん持っている人は、好きな夢を見ることができる。彼らには成功の疑似体験が与えられる。もちろん、それで欲望が消えてしまうものもある。しかし、強い欲望は一度の疑似体験を糧に逆に強くなる。成功イメージを持つことにより、より微細なイメージを描くことができるようになる。雨降って地固まるとでもいようか。中途半端な形の成功を拒絶することにより、自分の理想とする成功の形を浮き彫りにしていく。彼らは、夢の中でこれからの潜在意識を振り返ることができる。

現実と夢や空想を繋ぐものは欲望だ。
現実で欲望が満たされない感情ギャップを夢や空想が冷却水のように冷ます。
欲望がガソリンであり、それに点火することにより感情(動機)が生まれる。
この感情により動力(行動)が生まれる。もちろん、この感情が全て満たされることはない。でも、温まったエンジンが加速がいいのと同様に、感情ギャップは反発力も生み出す。これが温まったエンジンのように動力の補助力となる。

強い欲望はどのように生まれるのか。
欲望は木に例えればいい。でかい欲望をいきなり持つことは難しい。いきなり木が大きくなることはない。少しずつ大きくなる。陳腐な例だが、平社員は主任に、主任は課長に、課長は部長に、部長は社長になる欲望を持つ。比較的身近なことに対して欲望は抱きやすい。一日にいくら欲望を持つか考えて見てください。食欲、性欲、知的欲求、精神的欲求、様々なものを抱いているはずです。微々たる物だから感じていませんが。テレビを見るのも一つの欲求でしょう。ただ、欲望は大きく育てなければならない。テレビを見るのを我慢して、見たい気持ちを強くするのか、そういうことではありません。上記のものは欲望の種に過ぎない。テレビを見る。好きで好きでたまらなくなり、映画を作ってみたいと思う。これが欲望の開花であり、成長である。この場合、テレビを見るという欲望を満たしていることが必要である。つまり、大きな欲望は小さな欲望の達成に成り立つ。つまり、欲望の成功体験が大きな欲望を育てる上で欠かせないのです。
他にも欠かせいないことがあります。間引くことです。大きな木を育てるには、繁茂する木があれば間引かなければなりません。これは、欲望を抑えることになりますね。つまり、達成するものと抑えるものと両方必要なのである。同じくらいの背の高さの木が生い茂っていた場合、一本の木が枯れてしまっても他が緑色に色ずいていたとしたら、全体としては緑色でしょう。つまり、どうでもいい欲望を満たしていると大事な欲望を殺すことになります。逆に、大木の根元の雑草が枯れていても気に留める人はいないでしょう。この全体として緑色ということが心の満足感につながる。

結論は、欲望を抑えることと満たすことを両方行わなければならない。
欲とは一言で言えば好くことだ。サーフィンが好きならとことんやる。だが、それ以外は我慢する。最低限の生活費を稼ぐために嫌な仕事でも働く。そうすることで、サーフィンに対する欲望は大きくなる。もちろん、どの欲望を大きくするかは自分で決めなければならない。つまり、選択をしなければならない。余談だが、我々は自由の刑に処せられているという言葉を残した哲学者がいる。自由の刑とは、選択をしなければならないことを意味している。つまり、自由ということは逆から言えば、選択し続けるということに他ならない。

欲望を持てない人達の出現
多かれ少なかれ、彼らは存在していた。ただ、その数が尋常じゃない。
原因の一つは、欲望は自分で満たさないと力を生み出さない。つまり、社会が豊かになったことで、欲望が満たされやすい環境ができてしまった。そうすることにより、欲望が強く育ちにくい。また、選択をする基準を我々は知らない。今は、価値観が統一されていないのだ。戦後から見れば、復興という名の下に誰もがあくせく働いた。一生懸命働くことが欲望だった。また、彼らは満たされない欲望が常にあった。だから、選択はないも同然だった。だが、私達は異なる。根無し草でも生きていけてしまう。そこにハングリーさは生まれない。そして、どういう基準で選べばいいかを親や祖父や先生は知らない。一流を目指す欲望が生まれにくいのだ。何流であろうとも幸福と生存を得ることが出来る方法が複数ある。だから、私達はまず無駄に満たされた欲望を捨てなければならない。そうすることで、必要なものに厳選し一番欲しい欲望を選択するのだ。

結論として、
欲望は満たすことと間引くことが必要
自分で行うことが必要

仮定の話に戻す。
ある人からない人へと欲望を渡す。そうすることにより、今まで気力のなかった人々は活力を取り戻す。そうすることにより社会全体の経済性もあがる。幸福にもなる。また、見たい夢を見ることにより、犯罪などの防止効果にもなる。負の欲望に対する効力もあるからだ。もちろん、負の欲望も強いものを退けることはできないだろうが。
そして、実際にどうやって渡すか。それは、欲望のない人間の欲を満たさないことにより発生させる。厳密な意味で渡すわけではない。つまり、夢を見させないことがそれにつながるのだ。わかりやすくいえば、がむしゃらに動き回ることってことになる。想像力や夢なんて抜きに行動することだ。冷却するだけ失ってしまうのだから。


なんで、いつも文書を書くと二時間もかかるのだろうか。


posted by shunsuke at 02:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月09日

優しい人は損をするという法則から

久しぶりにひきこもごもいろいろ書いていきたいと思います。
あくまで独自の考えを展開していきます。

優しい人は損をする

例えば、一番という席は一つしかない。そこに座るには相手をだしぬくことさえ時には必要になる。だが、優しい人は席を譲る。だから、座れなくて最後に余った席に座る。もちろん、それは一番後ろの全く何も見えない隅の席。これが残念なことに今の社会システムの原理だと思う(もちろん、優しい人はお礼もよく貰えたりなんてこともあるから、例外もある。ただ、資本主義は競争だから、人間社会(感情論など)とは別個の合理的な筋がある。)  
でも、逆に考えてみると、彼はやさしさなら一番である。席を全ての人に譲ったわけだから。でも、残念ながら今の社会は評価できるものと評価できないものに分けて、社会に役立つものを評価できるものとして評価する。だって、誰が一番優しいかなんてわからないよね。でも、この順位や評価は凄い力を持つと思う。一時のことであるにも関わらず、その影響力は持続する。簡単な例が東大に入るだ。周囲の目は豹変するだろう。一回でも負けるとダメとかいうイメージがつけられる。だが、実際当人がそう思っているのだろうか。劣等感の強い人でもそんなことないと思う。評価とは、一般的に周囲が下すもの。周囲が’ダメな奴’という認識を与え、さらに社会の中でのポジションを与える。例えば、大学受験に失敗した人がいたとする。近所のおばちゃんたちは、まあ残念。可愛そうになんていう言葉を口にするだろう。だが、実際そうだろうか。彼は、大学を失敗したおかげで予備校に通うことになり、人生で最高の美女と付き合うことができたら、失敗だろうか。例がノリで飛躍したが、実際事象の表面だけで評価は下されるべきものではない。事象から根が伸び、新しいものを生み出すことは十分に考えられる。だから、実は慰めるという行為自体が、相手に対してあなたは悲壮な状況だという認識を呼びかけている。だから、もしそんな人がいたら「やったじゃん、おめでとう」と声をかけます。そうすると、間違いなく殴られます。また、脱線しました。
最近、自信がない人が多い。村上龍風だと希望のない国なんて言ってます。でも、自信をなくしてるのは本人ではないと思います。周囲がなくさせているのだと思う。無人島でテストをしてみる。その点数がいい点数なのか悪いのかわかりっこない。
心理学でも優越機能が劣等機能を克服していくように自信は自己同一性の確立に限らずとても必要だである。新しいことを始めても、五回も失敗のレッテルを貼られれば動けなくなる。
今まで何を言いたかったのか、不必要に自信をなくしている人が多く、なくさせられていると。リカードの比較優位論からいっても例えある分野に関する能力が低い人間が不必要かというとそんな事はない。分業の観点からも、全員が得意分野に特化し、協働した方が生産性は高い。つまり、自信を失った人は貴重な存在なのだ。しかも、彼らには伸びしろがある。もしかしたら、優しさでは一番みたいな。もし、彼らが打ち捨てられてしまうなら、誰も優しさを必要としないだろう。そうなったときに社会は成長していくことが可能なのだろうか。人間社会の中に(経済)社会がある限り、こんな事態は杞憂だが、時代の変遷と共にその位置付けは大きくなっているように感じる。
100回負けた人が笑っていられるシステムが理想だと思う。ハルウララシステムと名付ける。

優しい人は損をするについて
実は、これは昔読んだ教科書に書かれていたことが発端です。おばあさんが、前に立つと席を譲り、また座るとまたおばあさんが来てしまったという話。彼女は優しいので罪悪感をひどく感じる。ただ、勇気がなくてもう一度言い出すことができないという話。

優しい人は損をするは、非経済と経済の言葉で切り口がおもしろいと思って考えてみた。
優しい人は得をすることも考えられなくもない。ただ、それは経済的な状況ではなく、人間的な事象としておこりうるものだと思う。優しいから好かれるだとか。


posted by shunsuke at 02:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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