2005年03月27日

沖縄日誌 ナイチャーとウチナンチュ

三週間ほど前に沖縄に行ってきました。

沖縄は悲劇の監獄だと俺は思ってた。
琉球王朝期に薩摩藩から侵略され、
太平洋戦争時に米軍に侵略され、
最大規模の地上戦が繰り広げられた。
そして、その後1972年に至るまでアメリカの支配下におかれた。
現在、失業率と県民所得は全国最下位だ。

こういった悲劇的な歴史が、ナイチャー(本国人)とウチナンチュ(沖縄人)という言葉に強く現れている。

宿のスタッフのおじさんと飲む機会があった。
「ナイチャーには絶対に馬鹿にされたくない」と洩らした。
横浜に遊びに行ったときに、馬鹿にされたことに腹立てけんかをしたことを話す際に思わず口をついてでた言葉だ。
沖縄の人達は、沖縄の自分達とそれ以外の日本人という差別意識が強い。
これは過去の歴史が持たらした意識だろう。
車を運転していて気づいたのだが、沖縄の人はほとんど道を譲ってくれない。
あれだけ広い道路で当たりの強い姿勢は作為的な事象の存在が脳裏に浮かんだ。
宿で同年代の地元の大学生とも懇意になった。
彼が言うには、若い世代はそういう意識が薄れつつあるが、そういった意識が強い人も年配には多いのだそうだ。
正直、旅行中に相当愛想が悪いと感じた人たちもいた。
レンタカー会社のスタッフなど、無表情無言だった。

もちろん、どの人も仲良くなれば非常に親切で厚情な人々だと思う。
たとえば、宿のスタッフは酒を奢ってくれたし、波情報もわざわざ調べてくれた。
本来の温暖な気候がもたらす風土的な性格が出てくる。
土産物のおばちゃんは、商売柄だが気さくに話し掛けてくれて、いろいろな話を聞かせてくれた。

ひめゆりの塔に行った帰りに、首里城へ行くために山の中腹くらいの駐車場に車をとめて歩くことになった。しばらく歩いていると、自転車を引いたおじいさんが「お参りをして行きなさい」と声をかけてきた。
見れば、左手に中学校と思しき建物があった。
階段を上りあがると、原っぱのような広場に一中健児の塔が置かれていた。
おじいさんは、自分だけお参りをするとそそくさと来た道を戻って行った。
一様に手を合わせてそこを去った。

サーフィンのポイントにスーサイドと呼ばれるポイントがあった。
潮が引くと剥き出しの岩があらわになるので、満潮時しかできないポイントだ。
ひめゆりの塔のすぐ近くにある。
その言葉を聞いた時、凄いネーミングだと思った。
ポイント名に「自殺」だなんて初めて聞いた。
ひめゆりの党の資料館の説明によれば、北側から攻め立てられ、そこで果てた人もいるに違いなかった。

こういった、所々で足を止めさせる体験が、日差しにより浮き彫りとなった沖縄の人たちの影のように思えた。
ナイチャーとウチナンチュという言葉は、悲しい匂いがした。

沖縄情報
http://www.okinawabbtv.com/index.htm

posted by shunsuke at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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