2005年05月27日

年代記

この世のどこかには、人類の過去、現在、未来の全ての歴史が書かれている本があるとかないとか。
人類は、その本に書いてある通りに歴史を紡いでいるそうだ。
この年代記は、本棚に平然としまわれており、中にはこれから起こることが書いてあるそうだ。
これは、昔アメリカで実在した人が言っていたそうだ。

この話、実に肩が凝ってくる。
虚脱感を覚える。
三途の川の鬼の話の次くらいに落ちる。
石材なんかを運んでいる人がいたら足元から崩れ落ちそうなくらいだ。
超能力とか夢があるから好きな方だけど、
この話はおもしろおかしいというよりもちょっぴり真理を突いている気がした。


すべてが決められているとは仕組まれている。
作為的なんじゃないかと。
例えば、会ったことも見たこともない人を好きになることはない。
存在すら知りえない。
自分が好きなものは本当にそれが好きなのか。
みかんが好きだけれども、それは常に家に置いてあるので、
それがないということに違和感を感じる。
それが原因で、仮にそれがリンゴであったら、
リンゴを好きになっているはずだ。
実は自分が考えたアイデアは、誰かのインパクトにルーツがあったりする。
この人間の理性的な営みを作為的ととらえれば、少しは見られた話になる。
人を三次元上に球体としてプロットし、ひとつをはじく、それがぶつかる、ぶつかられた方も動き出す、ビリヤードの玉みたいに。これが、繰り返される。なかなかあたらないものもあるかもしれない。これが人間の活動を表せたりするんじゃない。

人間は考える葦だから、理性で考える。
理性的に考えると理性に仕組まれる。
決めるのは理性。決められるのもまた理性。
唯一違うのはインパクトの瞬間のような気がする。
インパクトは純な素材だと思う。

家の前は大学の農場なので、付属の小学生が植物見学に来たりする。
窓を開けていると、甲高い声だと流れてくる。
小学生の女の子が、男子に向かって「こら、一般ピープル」と叫んでいる。
この表現は大人が何万回の試行錯誤をしても出てこない気がする。
ある意味、芸術的な一言。連呼していたので、爆笑したけど。
ふと、彼女の発言は年代記に書いてないんだろなと妙に納得した。

彼女の一言が何かを変えるほどに大きい力を持っているとは到底思えない。
しいていえば、言われた男の子がひどく傷ついたくらいだ。
でも、力を持つこともある。
だから、年代記の話は半分あたっていて、半分はずれてる。
こういった、刹那刹那の美しさは、危ういけど、甘い陶酔感がある。
自分が拾った貝殻を机の上に並べて、悦に浸って見ているような。
逆に降り積もった気持ちが一念に付されることもある。
いざ、なってみるとどうってことなかったみたいな。
無駄に長い列を作って、恐怖を味あわせる予防接種。

昔、確か古文で、桜の花が咲くのを見ると悲しくて、とても喜ぶ気にはなれないと云った内容があった気がする。なぜなら、咲いた瞬間から散ることが決められている。どうして、この運命を祝うことができるのでしょうかみたいな感じだったかな。
初めは、感じ入るところがあるように聞こえたけど、実は馬鹿げてる。
喜んで、悲しめばいいだけで、全体を結果に収束させる必要はない。
悲しむんであっても、悲しんで、悲しめばいいわけで。

「豊穣の海」の良さはここにある。
マジ、名作だよ。ほんと。

理性ほどつまらないものもないと思ったけど、想像を裏切れないから。
そう考えている自分がすでに自分にだまされていたかも。
自分は理性と感性を履き間違えていたように思える。
結局行き着く先は、行動なのかな。
行動、行動、まず、行動で、インパクトを与え、貰いつづけて、
そこで、初めて思考する。
そうすると手遅れ?がいつものパターン。
だけど、笑い話にして、おしまいみたいな。
この不幸の方程式の値域が最大値を超えつつある気がする。
いや、実際ある。
ただ、まいっかっていうすばらしい言葉があって、、、、
三河漫才って、こんな感じだったのかな。笑
posted by shunsuke at 21:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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