2005年01月10日

HERO   〜ヒーロー〜

全く正月と関係ありませんが、
かなり前に、HEROを見ました。
だから、書いたのも結構前なんですが、
最近、書くのが面倒なので
あたかも、最近書いたかの如く載せちゃいます。
どこまで、面倒臭がり屋なんだって感じですが。

中国の始皇帝暗殺計画を描いたものですね。
映画好きの人から言わせると、呼び込みとの差が激しく、駄作との評ですが。
ただ、俺は映画の良否は別として、話には大変感心しました。

ストーリーを手短に書くと、
主人公は、晋の出身で滅ぼされた怨恨から暗殺を企てます。
始皇帝の住居に潜入することに成功し、御前まで辿り付きます。
暗殺しようと思えば、可能な距離にまで近づくことができたんですが、
結局、暗殺せず、天我(漢字が違うかも天下かな?)という理を説き、去り際に処刑されてしまいます。

結局、私情により始皇帝を暗殺しても、第二の始皇帝を目指し争いが生まれます。そのことにより、自分のような新たな犠牲者が生まれます。
もし、大局的な(天)見地からすれば、殺すべきでないという帰結が生まれます。

全体主義は、個人という考え方を否定します。
あくまで、全体の一部と捉えられます。
血も涙もない考えとも受け取れますね。
ただ、見方を変えれば、自分を遠くから見ることができる考え方だとも思えます。
地球の外あたりから、光学望遠鏡で覗くような感覚。
自分を俯瞰して見る考え方はとても重要だと思います。
ただ石を削っている男と、自分がサグラダファミリアのような世界の一部を作っていることを認識しているのでは、仕事振りや気持ちは異なるでしょう。
だとすると、自分たちは死ぬ気で頑張らなきゃならなければとも思えます。
三国志でいえば、諸葛亮孔明が馬謖を街亭山の戦いで起用しなければ、蜀が建国されていたかもしれません。
一つの行動(ミス)で、世界が大きく変わるのも事実です。
石大工の話でいえば、手抜きにより建物の崩壊など。

こう言われると、明日のプレゼンを戦々恐々に感じてしまうかもしれません。
でも、全体ないし世界は、個人の努力の単純の総和ではありません。
だから、自分の行動が常に凄い重大な意味を持つわけではないのです。
彼(HEROの主人公)は、歴史の鍵が自分の手の中にあるときに適切な行動をしたから、賞賛されるべきものでしょう。でも、鍵はいつでも誰の手にもあるわけではないということです。
だからといって、何事も適当にするのとは違います。
過ちを犯したとしても、それに執心する必要はないということです。
この俯瞰的な考えを持っていることが、肩の荷を軽くしたり、悩みの解決になるんじゃないでしょうか。
毎日、くだらない鉄筋コンクリートを組み立てていると思えてしまうかもしれませんが、それができることによりどういう変化がもたらされるかを知れば、自分なりの答えを見つけることができるでしょう。なかには、お金のため名誉のため、それもありでしょう。
自分がしていることの意味がわからないときなどは、鳥瞰図のように自分がいる位置を切り取れば、自分を見つけることができると思います。

こんな考え方ができる、中国はやはり大きいんでしょう。
もし、鍵が既にある人やこれから手にすることがある人は、彼のように適切な行動をして欲しいものです。

ちなみに、自分は、元旦にサーフィンをしに行きました。
久しぶりに相当波があったので、海水をしこたま飲みました。
一生の目標にサーフィンを極めるも入ってますが、依然として難題のようです。
まあ、俺の引出しには今のところ鍵は入っていないようです。
posted by shunsuke at 23:37| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月22日

パラダイムシフト

誰も見てないと思っていたんですが、
要請があったのでぼちぼち書いていきます。

パラダイムシフトとは、
物事の大きな枠組み、考え方が変化することを意味する。
従来の常識が通用しないような大きな変化のことを言う。

自分が言いたいことは考え方を変えて見ようということです。

その前に
「妥協」と「頑固」について話します。
対義語になってませんが、浮かびませんでした。知っている人は教えてください。

妥協とは、環境(外部)を懐柔するという意味があります。
頑固は、 環境(外部)を受け付けないと。

どちらも、一長一短ですが、
ただ、新しいものを生み出す考え方は実は頑固なんです。勿論、私見ですよ。

では、なぜか
言い換えると、
「妥協」とは、何かを止めることです。
「頑固」は、 何があろうとつづけるということです。

新しいものを生み出す状況を想定したときに、
妥協的な考え方は、環境に整合的な考えとなり、思考が止まってしまう。
「宇宙人いるのかな、現在水のある惑星が発見された件数が皆無に等しいので、
 おそらくいないだろう。」
これが、妥協的な考え方です。
では、頑固的だとどうか
「宇宙人はいる。誰がなんといようと俺はいると思う」
周囲には迷惑な考え方ですが、でもこちらには可能性があります。

テーマを「人間は空を飛べるか」について考えましょう。
「人間には羽がないので空なんか飛べるわけがないよ」
っていうのは、妥協的な考え方です。
「人間も絶対に空を飛ぶことができる。空を飛びたい」
っていうのが、頑固的な考え方です。
そして、後者がライト兄弟ですよね。
当時、誰が想像できたでしょうか?
誰もできなかったでしょう。
だって、今までにないものですから。
今までにないものを作る場合、誰もが無理だと答えるのは当然です。
なぜなら、現実にないのだから。

つまり、新しいものを考えるときには、不可能なことについて考えるべきなのです。
そうやって、人間は進化してきたのですし。
例えば、リンゴという単語からどんな情報が浮かぶでしょう。
赤い、丸い、大きさは拳くらい、、、、、
でも、この情報からリンゴについて考えることはリンゴの可能性を排除してしまっているのです。
品種改良によっては、青いリンゴができるかもしれません。一口サイズのリンゴ(ヒメリンゴがありますが)も可能かもしれません。

妥協的な考え方は、私たちが社会活動をする上で築き上げてきたものです。
頑固的な考え方は、私たちが、進化するために使った考え方です。
人間の進化は、ある気まぐれなサルが群れから外れて発見したものがきっかけだと思ってます。そこで、集団は内部になかった外部的な新しいものに出会った。外へのベクトルが生まれたのだと。

この考え方は、人の話を聞く聞かないというのとは話が違います。
人の話から、ヒントを得ることはある。
情報という点からは「頑固」は狭小なものになってしまいます。
ただ、意思決定する上では頑固であるべきです。

意思決定論の授業で聞いた話で、
意思決定は、人数が多いから優れているとは言えない。
たった一人の優れた判断を下せる人間がいた場合、それに劣りさえします。
考え方は、ようするに情報をふるいにかけて知識化することです。
この過程で、意思決定が行われています。
ここで求められるべきなのが、頑固的考え方です。

今の情報化の社会をレッテリング社会と名づけてます。
名前は必要です。
名前をつけることで、整理整頓できます。
しかし、実はこれが落とし穴だと思います。

例えば、今流行りのNEET(no earning,education,traing)
まあ、何もしないで家でブラブラしている人です。
このレッテルをどう思いますか。
これは経済的な見地から名づけられた呼称です。
将来、税収の低下や、生涯賃金の減少によるGDPの低下などなど
こういったものを背景に名づけられます。
この呼称は、この意味を与えることにより、それ以外の意味を奪っています。
この中には実は優秀な人がいるかもしれません。
ただ、社会がそれを活かせないだけで。

今政府は、いかに彼らを社会に出すかを考えています。
これが最も妥協的な考えの愚の骨頂です。
彼らに必要なのは、本当に就職支援や斡旋でしょうか?

従来からある程度は備わっていた機能だと思います。
私は、変わるのは社会や会社だと思います。
彼らは、既存の生き方に価値を見出せず、新しい生き方を模索している人たちです。
経済の奴隷として、生きることにアレルギーを起こしている。
これは、ワークシェアリングや雇用制度の見直しをすることで相当解消できると思います。例えば、勤続五年毎に半年もしくは一年休暇を与えるなど。
(実はIBMは偉いからやってますが、週三日制を導入してます)
この考え方は一例でしょう。
彼らをどういった存在と位置付けるかで行動は全く違ったものになります。
レッテル通りに情報を知識化していたら、
「なんだ、働かないでぐだぐだしやがって」という見方になってしまいます。
この考え方では、ますます人数を増やすだけで進展しないでしょう。

もちろん、私の考え方が全てではないです。もしかしたら間違っている可能性があります。でも、正しいか正しくないかは、実はどうでもいいと言ってもいいんです。
だって、無い物を探求するんですから、何通り考えられると思います?

だから、皆さん考え方を変えてみませんか?
明日からあなたも星一徹で。

ココシャネルもエジソンも頑固だと思います。
従業員を全員解雇したんだって。
学校に行かないで、ずっと実験室で実験していたんだって
理解不能ですよね。
どうやって服作るの?就活どうするの?って感じですね。

ちょっと、意思決定の部分はあやふやだけど、即席で書いているので勘弁してちょ
意見がある方はいつでもよろしくお願いします。妥協しませんが(笑)

実は、まだ終わりじゃないんだけど、今日はもう疲れました。






posted by shunsuke at 00:46| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月20日

夢と現実をつなぐもの 夢をみる権利の売買

最近、株価ばっかり見てます。
九時から三時までパソコンの前に張り付き。
数字に躍らされるなんて、霊長類の頂点に立つ人間がとか思ってしまいますが、
実は楽しい。日本が動いてるんだなって感じる。そして、資本主義を直接感じられる。
株で儲けた場合、誰かが損をしているからだ。もちろん、右肩上がりを軌跡とするなら無限に続き、損をする人はでないともいえる。でも、変動となると損をする人と得をする人がいる。


好きな夢を見ることができるシステムがあることを前提とする。

誰もが好きな夢を見たいなと思うことはないだろか。空想をリアルに疑似体験できるとしたら、それは夢の中だ。例えば、上司に不本意に叱責されたとする。あの上司をコテンパンにしたいと思っても当然そんなことは許されるべきものではない。でも、夢の中でなら上司をボコボコに殴ってしまっても問題ない。夢の中では法律も道徳も消し去ることができる。好きな夢を見る権利を販売する。例えば、アイスクリームを好きなだけ食べる夢を見れる権利。夢を見る人は、この中から好きな権利を一つ購入する。では、ここで何を対価として支払うか。それは、欲望である。その人間から欲望を奪い取る。例えば、ボクシングで頂点を極めたいと願う人がいたとする。彼は、それを夢で見る。しかし、夢で見ることによって擬似達成されてしまう。そうすると、彼から頂点を極めたいという欲望が消えてしまう。つまり、また彼は新たに欲望を作らなければならないわけだ。つまり、欲望をたくさん持ってる、又は強いものを持っている人は多くの好きな夢を見ることができる。逆に、全く欲望がなければ好きな夢を見ることはできない。

普段無気力で生きている人がいる。彼らは欲望がない。だから、夢さえも無気力なものだ。自分の今までの潜在意識を振り替えるものでしかない。しかし、欲望をたくさん持っている人は、好きな夢を見ることができる。彼らには成功の疑似体験が与えられる。もちろん、それで欲望が消えてしまうものもある。しかし、強い欲望は一度の疑似体験を糧に逆に強くなる。成功イメージを持つことにより、より微細なイメージを描くことができるようになる。雨降って地固まるとでもいようか。中途半端な形の成功を拒絶することにより、自分の理想とする成功の形を浮き彫りにしていく。彼らは、夢の中でこれからの潜在意識を振り返ることができる。

現実と夢や空想を繋ぐものは欲望だ。
現実で欲望が満たされない感情ギャップを夢や空想が冷却水のように冷ます。
欲望がガソリンであり、それに点火することにより感情(動機)が生まれる。
この感情により動力(行動)が生まれる。もちろん、この感情が全て満たされることはない。でも、温まったエンジンが加速がいいのと同様に、感情ギャップは反発力も生み出す。これが温まったエンジンのように動力の補助力となる。

強い欲望はどのように生まれるのか。
欲望は木に例えればいい。でかい欲望をいきなり持つことは難しい。いきなり木が大きくなることはない。少しずつ大きくなる。陳腐な例だが、平社員は主任に、主任は課長に、課長は部長に、部長は社長になる欲望を持つ。比較的身近なことに対して欲望は抱きやすい。一日にいくら欲望を持つか考えて見てください。食欲、性欲、知的欲求、精神的欲求、様々なものを抱いているはずです。微々たる物だから感じていませんが。テレビを見るのも一つの欲求でしょう。ただ、欲望は大きく育てなければならない。テレビを見るのを我慢して、見たい気持ちを強くするのか、そういうことではありません。上記のものは欲望の種に過ぎない。テレビを見る。好きで好きでたまらなくなり、映画を作ってみたいと思う。これが欲望の開花であり、成長である。この場合、テレビを見るという欲望を満たしていることが必要である。つまり、大きな欲望は小さな欲望の達成に成り立つ。つまり、欲望の成功体験が大きな欲望を育てる上で欠かせないのです。
他にも欠かせいないことがあります。間引くことです。大きな木を育てるには、繁茂する木があれば間引かなければなりません。これは、欲望を抑えることになりますね。つまり、達成するものと抑えるものと両方必要なのである。同じくらいの背の高さの木が生い茂っていた場合、一本の木が枯れてしまっても他が緑色に色ずいていたとしたら、全体としては緑色でしょう。つまり、どうでもいい欲望を満たしていると大事な欲望を殺すことになります。逆に、大木の根元の雑草が枯れていても気に留める人はいないでしょう。この全体として緑色ということが心の満足感につながる。

結論は、欲望を抑えることと満たすことを両方行わなければならない。
欲とは一言で言えば好くことだ。サーフィンが好きならとことんやる。だが、それ以外は我慢する。最低限の生活費を稼ぐために嫌な仕事でも働く。そうすることで、サーフィンに対する欲望は大きくなる。もちろん、どの欲望を大きくするかは自分で決めなければならない。つまり、選択をしなければならない。余談だが、我々は自由の刑に処せられているという言葉を残した哲学者がいる。自由の刑とは、選択をしなければならないことを意味している。つまり、自由ということは逆から言えば、選択し続けるということに他ならない。

欲望を持てない人達の出現
多かれ少なかれ、彼らは存在していた。ただ、その数が尋常じゃない。
原因の一つは、欲望は自分で満たさないと力を生み出さない。つまり、社会が豊かになったことで、欲望が満たされやすい環境ができてしまった。そうすることにより、欲望が強く育ちにくい。また、選択をする基準を我々は知らない。今は、価値観が統一されていないのだ。戦後から見れば、復興という名の下に誰もがあくせく働いた。一生懸命働くことが欲望だった。また、彼らは満たされない欲望が常にあった。だから、選択はないも同然だった。だが、私達は異なる。根無し草でも生きていけてしまう。そこにハングリーさは生まれない。そして、どういう基準で選べばいいかを親や祖父や先生は知らない。一流を目指す欲望が生まれにくいのだ。何流であろうとも幸福と生存を得ることが出来る方法が複数ある。だから、私達はまず無駄に満たされた欲望を捨てなければならない。そうすることで、必要なものに厳選し一番欲しい欲望を選択するのだ。

結論として、
欲望は満たすことと間引くことが必要
自分で行うことが必要

仮定の話に戻す。
ある人からない人へと欲望を渡す。そうすることにより、今まで気力のなかった人々は活力を取り戻す。そうすることにより社会全体の経済性もあがる。幸福にもなる。また、見たい夢を見ることにより、犯罪などの防止効果にもなる。負の欲望に対する効力もあるからだ。もちろん、負の欲望も強いものを退けることはできないだろうが。
そして、実際にどうやって渡すか。それは、欲望のない人間の欲を満たさないことにより発生させる。厳密な意味で渡すわけではない。つまり、夢を見させないことがそれにつながるのだ。わかりやすくいえば、がむしゃらに動き回ることってことになる。想像力や夢なんて抜きに行動することだ。冷却するだけ失ってしまうのだから。


なんで、いつも文書を書くと二時間もかかるのだろうか。


posted by shunsuke at 02:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月09日

優しい人は損をするという法則から

久しぶりにひきこもごもいろいろ書いていきたいと思います。
あくまで独自の考えを展開していきます。

優しい人は損をする

例えば、一番という席は一つしかない。そこに座るには相手をだしぬくことさえ時には必要になる。だが、優しい人は席を譲る。だから、座れなくて最後に余った席に座る。もちろん、それは一番後ろの全く何も見えない隅の席。これが残念なことに今の社会システムの原理だと思う(もちろん、優しい人はお礼もよく貰えたりなんてこともあるから、例外もある。ただ、資本主義は競争だから、人間社会(感情論など)とは別個の合理的な筋がある。)  
でも、逆に考えてみると、彼はやさしさなら一番である。席を全ての人に譲ったわけだから。でも、残念ながら今の社会は評価できるものと評価できないものに分けて、社会に役立つものを評価できるものとして評価する。だって、誰が一番優しいかなんてわからないよね。でも、この順位や評価は凄い力を持つと思う。一時のことであるにも関わらず、その影響力は持続する。簡単な例が東大に入るだ。周囲の目は豹変するだろう。一回でも負けるとダメとかいうイメージがつけられる。だが、実際当人がそう思っているのだろうか。劣等感の強い人でもそんなことないと思う。評価とは、一般的に周囲が下すもの。周囲が’ダメな奴’という認識を与え、さらに社会の中でのポジションを与える。例えば、大学受験に失敗した人がいたとする。近所のおばちゃんたちは、まあ残念。可愛そうになんていう言葉を口にするだろう。だが、実際そうだろうか。彼は、大学を失敗したおかげで予備校に通うことになり、人生で最高の美女と付き合うことができたら、失敗だろうか。例がノリで飛躍したが、実際事象の表面だけで評価は下されるべきものではない。事象から根が伸び、新しいものを生み出すことは十分に考えられる。だから、実は慰めるという行為自体が、相手に対してあなたは悲壮な状況だという認識を呼びかけている。だから、もしそんな人がいたら「やったじゃん、おめでとう」と声をかけます。そうすると、間違いなく殴られます。また、脱線しました。
最近、自信がない人が多い。村上龍風だと希望のない国なんて言ってます。でも、自信をなくしてるのは本人ではないと思います。周囲がなくさせているのだと思う。無人島でテストをしてみる。その点数がいい点数なのか悪いのかわかりっこない。
心理学でも優越機能が劣等機能を克服していくように自信は自己同一性の確立に限らずとても必要だである。新しいことを始めても、五回も失敗のレッテルを貼られれば動けなくなる。
今まで何を言いたかったのか、不必要に自信をなくしている人が多く、なくさせられていると。リカードの比較優位論からいっても例えある分野に関する能力が低い人間が不必要かというとそんな事はない。分業の観点からも、全員が得意分野に特化し、協働した方が生産性は高い。つまり、自信を失った人は貴重な存在なのだ。しかも、彼らには伸びしろがある。もしかしたら、優しさでは一番みたいな。もし、彼らが打ち捨てられてしまうなら、誰も優しさを必要としないだろう。そうなったときに社会は成長していくことが可能なのだろうか。人間社会の中に(経済)社会がある限り、こんな事態は杞憂だが、時代の変遷と共にその位置付けは大きくなっているように感じる。
100回負けた人が笑っていられるシステムが理想だと思う。ハルウララシステムと名付ける。

優しい人は損をするについて
実は、これは昔読んだ教科書に書かれていたことが発端です。おばあさんが、前に立つと席を譲り、また座るとまたおばあさんが来てしまったという話。彼女は優しいので罪悪感をひどく感じる。ただ、勇気がなくてもう一度言い出すことができないという話。

優しい人は損をするは、非経済と経済の言葉で切り口がおもしろいと思って考えてみた。
優しい人は得をすることも考えられなくもない。ただ、それは経済的な状況ではなく、人間的な事象としておこりうるものだと思う。優しいから好かれるだとか。


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2004年09月24日

esという映画を見た。

esという映画を見た。

一般人が看守と囚人に別れて任務を行うという実験の推移を映画化した。実話を元に作られているそうだ。
極限状態の人間の心理や行動を分析するという思考が既に異様だ。その分析に有用性があるのか疑問を禁じえない。だが、一方で現在の技術の基礎はナチスの実験による部分も大きいらしい。現在の宇宙服は、ナチスの人体の衝撃実験のデータを参考にしているそうだ。高度何十メートルから落とすと人間の体がどれくらい損壊するかの実験だそうだ。

極限状態では、没個性化すると言われる。でも、人間は集団生活する遺伝子が組み込まれている。それぞれが役割を発揮する。リーダーであったり、フォロワ−であったり。そういった役割は、その人の個性が相対化され決定される。だから、個性は役割に凝固されると言っても過言ではない。その役割に絶対的な意味付けがなされていたりすると、それにより凝り固められてしまうのである。そういった意味で、その個性を支配するべき精神の脆弱さをこの実験で窺い知ることが出来る。
だが、これは生物なら誰しももっている本能に違いない。環境に適合する能力。個性を殺さないことが生死に関わる状況も考えられる。私たちは、どんな猛獣でも、アメとムチで手なづけることができる。それと同じで極限状態では、没個性化が進化の上で必要だったのかもしれない。
posted by shunsuke at 03:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月18日

試作

試作
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